下関の整体です【第1章】理学療法士が足と靴を見る理由《その2》日本人の生活を変えた履物の歴史について

2022/01/10 足と靴
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ななかの山田です。

いつもななかのブログをご覧戴き、

本当に有難うございます。

 

 

おはようございます。

 

正月3が日から始まり、

8~10日の3連休、

皆さんは如何でしたでしょうか?

 

私は相変わらず、

年末29、30と

3が日だけお休みを戴き、

その後は休みなく

お仕事させてもらってます。

 

明日から又、本格的に

人や車が動きだします。

 

体調管理を十分に、

頑張っていきましょう!

 

 

さて。

 

 

2回目の今日は、

【第1章】

理学療法士が足と靴を見る理由 

《その2》

日本人の生活を変えた

履物の歴史について

と題してお送りします。

 

 

少し遠回りになりますが、

まず我々日本人と履物の

歴史についての関係を

見てみましょう。

 

日本での履物の歴史は、

米作りを始めた

弥生時代が最初であると

言われているそうです。

 

その当時、履物は農耕用に

用いられていたようですが、

徐々に、一般庶民には

草履や草鞋が

普及していきました。

 

一方、日本全国には、

履物を奉っている

神社仏閣などもあり、

履物は日本人にとって、

ただ単に足につける

道具としての役割を越えた、

スピリチュアルな

存在でもあったようです。

 

江戸時代末期までは、

草履や草鞋、下駄が

日本人の履物でしたが、

日本で初めて現代のような

洋靴を履いたのは、1582年、

天正遣欧少年使節の

4人であるとの記録が

あるそうです。

 

他にも、

日本で初めて洋靴を

履いたのは坂本龍馬で

あるという説もあり、

高知県の桂浜にある

龍馬像が、紋付き袴に

靴といういでたちで

あるのは有名な話です。

 

龍馬が日本初かどうかは

議論があるにしても、

幕末の武士たちが、

どこで買い求めたのかは

分かりませんが、

侍姿で洋靴を履いている

絵も残されていて、

おおよそこの

幕末の時期から、

日本国内で現代のような

洋靴が履き始められたのは

疑う余地がないようです。

 

つまり、

日本人が現代のような

洋靴を履き始めて、

まだ150年程度の

歴史だという事です。

 

明治、大正時代に入り、

洋靴は普及し始めるものの、

当初は宮中の正装として

用いられるなど、

上級階級に限られ、

一般庶民はまだまだ

草履や下駄であったようです。

 

その後庶民に普及する

様相もみられたようですが、

戦争が始まると、

皮革の輸入が止まった

ことにより、

戦時中には軍靴のみ

製造されていました。

 

現代のように一般人が

洋靴を履くというのは、

第二次世界大戦以後の

ことになります。

 

月に着陸する際に

履いた宇宙靴や、

宇宙船で履くための

靴が存在する

現在でありますが、

日本で一般庶民が

靴を履き始めてから

まだ100年も経過しておらず、

靴の歴史は非常に浅いもの

であると言えるでしょう。

 

理学療法士が接する

高齢者の中には、

幼い頃は

『草履』や『下駄』を

履いていたという

人も少なくありません。

 

 

今日はこの辺で。

健康な身体は自分で勝ち取るもの。

 

 

3回目の明日は、

【第1章】

理学療法士が足と靴を見る理由 

《その3》

日本文化における

『靴』の価値とは?

と題してお送りします。